忘年会

日時:平成23年12月27日(火)午後7時30分
場所:未定。

開催場所が決まり次第、詳細は後日ご案内致します。
是非、ご参加下さいます様お願い致します。
最初12月20日(火)を予定していましたが、当日講師の関谷先生は、
手話講習会がありますので、12月27日(火)に変更させて頂きました。
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    講演会の開催について

    日時  : 平成23年10月25日(火)午後8時頃〜30分間
    講演名 :「石巻ボランティアに、参加して」 
         看護師 源元 隆 様(かたつむり会員)
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      東日本大震災ボランティア報告

      薬剤師  宮之原 麻里


       今回のボランティア派遣は、3月11日の震災直後から鹿児島県薬剤師会を通じて日本薬剤師会が募集していたもので、私が申し込みをしたのは4月に入ってからでした。
      申し込みをした翌日には県薬から連絡があり、出発は2週間後が決まりました。
      日本薬剤師会では被災した岩手、宮城、福島の3県に対して各都道府県のボランティアが入るようになっており 九州山口は1班10名のチームで担当は宮城県でした。
      出発が決まってからの毎日は 日薬、県薬、そして九山チームをまとめている福岡県薬剤師会のホームページをチェックして日々送られてくるレポートに目を通していました。
      報告書は活動内容は勿論ですが、レンタカーでの往復の様子や、お天気の事、あと食事や就寝中の様子 更には皆の色々な感想まで書いてありました。
      又、テレビのニュースもそれまで以上に宮城県の話題をチェックしました。


       私が出発するのは4月末で、もうすぐゴールデンウィークという頃でした。
      鹿児島ではゴールデンウィークに入れば、時にはクーラーをつけたくなるくらい 急に暑くなりはじめる頃ですが、テレビを見ていたら 前の週に俳優の石原軍団が石巻で炊き出しをしているニュースが流れていて、お天気が雨からみぞれに変わっていました。皆さんの「寒いですね」というコメントもあったことから、私は慌てて冬物を準備する事にもなりました。他にも寝袋や現地3泊4日分の水や、カロリーメイト等の食料など思ったより重くなったので、一部は前日に東京泊のホテルへ宅配しました。
       5日前に気仙沼派遣が決まり、地図を見ると宮城県でも一番北部でした。
      私はそれまで東北へ行ったことがなかったので 自分の健康面等 やはり多少の不安もありました。


       4月26日九山チームの第11班として出発、その日は午後7時に東京四谷のホテル近くの飲食店で10名の顔合わせがありました。 リーダーの福岡県薬の先生はホテル近くにある日薬から資料や、レンタカーのキー等を預かってきており、皆で翌日のレンタカー3台の乗り分けや運転の順番等を決めました。
       翌27日朝6時に出発、首都高から東北自動車道へ入り途中2回の休憩で少し早い昼食まで取って12時頃に仙台の宮城県薬へ着きました。そこで、九山10班と活動内容の引継ぎをして そこからはもう1人 鹿児島から来ていた永井里央さんと二人で運転でした。仙台から又高速へ乗って、岩手県一関インターでおりナビを見ながら2時間半 気仙沼に着いたのは午後3時頃でした。


       気仙沼では市民健康管理センター「すこやか」がボランティアの活動拠点となっていたのですが、この「すこやか」は市内でも少し高台にあり周囲はもうライフラインが復旧していました。 その為、コンビニをはじめスーパーも再開していて地域の住民は普通の生活が出来ている状況でした。
      テレビでよく見る火災があったのは沿岸部でその被害状況には明らかに差がありました。
       到着後は翌日の活動内容が決定するまで「すこやか」内での薬剤スペースで在庫整理をしました。  私達医療チームは、宿泊はそれぞれ別に確保し 朝「すこやか」に行きミーティング後 各避難所へ通うという形をとっていました。
       避難所は25ヶ所あり、全国からのDMAT(災害派遣医療チーム)約20チームが分担して毎日診療、又在宅専門のチームは隔日で行なわれるP-CAT(巡回診療支援隊)として個人宅や、介護の必要な高齢者対象の施設・福祉避難所をカバーしていました。避難所自体には全国看護協会の看護師2名が24時間体制で常駐していました。   
       「すこやか」では1日2回 8時と17時に、薬剤師会 栄養士会等も含む総勢5〜60名からなる全体ミーティングがあり、朝は本日の活動内容の確認だけに対し、夕は本日の診療内容の報告、問題提起に始まり活発な意見交換まで長いときは1時間ほどありました。

       市内の医療機関は3分の2が被災している一方、3分の1は保険診療が再開されており、
      DMATによる診療は無料であることから 最終的にはどのようにして地域医療へ戻していくか、どのようにして縮小させていくかがテーマでした。
       日薬からは この時7名の薬剤師が派遣されており、東京都薬からの3名は「すこやか」内の本部に1名、避難所・K-waneに1名、気仙沼市役所の診療所に1名と、長野県薬からの2名は大島というフェリーで渡る島の診療所に、そして九山チームの私達2名は他からの要請待ちで 翌日は栄養士会に同行して沿岸部の避難所 鹿折(ししおり)中学校へ栄養相談とOTC(市販薬)の配布をすることになりました。
       その後荷物を持って、宮城県薬が宿泊所としてお借りしている 薬の卸会社・バイタルネットさんの事務所へ到着、その日は近くの飲食店が再開しているとの事で 思いがけず外食が出来ました。 私はてっきり避難所での宿泊、非常食の生活だと思っていたので、すこし拍子抜けした思いもありましたが ご飯も美味しく頂いて 夜は寝袋でぐっすり眠ることが出来ました。


       次の日は「すこやか」でのミーティング後、栄養士さん1名に同行して中学校へ。途中ナビを見ながら走って行ったのですが、通行止めもあり交通整理に立っていたおじさんにお聞きして迂回しながら小高い丘の上に到着しました。210名が避難しているとの事でしたが、動ける方は日中瓦礫の撤去へ行っている様で 残っていらしたのは高齢者やまだ学校が始まっていない小学生、高校生等60名程でした。 避難所になっている中学校は学校が再開されていて、中学生は体育館から隣の校舎へ通学している状態でした。


       避難所はこの期間は行政面では広島からの派遣があり、1日のスケジュールも決まっていて それに沿って被災者が生活していました。又体育館の中のスペース割りが書いてある地図みたいな表も頂き、お名前と年齢、基礎疾患等のコメントが書かれてありました。
       昼食の様子も見せていただきましたが、自衛隊の炊き出しで この日のメニューはご飯と野菜の入った汁物、お肉のサンドされたランチパック、ビスケット1〜2枚というものでした。 食事時間を挟んで5時間 「こんにちは おじゃましていいですか?」としきりのない避難所で声かけをしていきました。糖尿病、透析をしている方もいる中  いきなり薬の話などは出来るわけもなく、食事は美味しく食べられていますか?食べたいものはないですか? 夜少しでも眠れていますか?等 雑談交じりでお話を伺っていきました。
       皆 避難の状況は様々で、近隣の市町村に親戚や友達がいて差し入れをいただける人や、自分で車を持っていたり、日中外に出られる人は炊き出しだけではなく、食べたいものを購入して少しは食べられているんですよと内緒で教えてくれる方もいました。
      でも経済的には余裕があるわけではないですし、家や車も流されてしまった高齢者世帯の殆どが炊き出しや体育館での生活がすべてという状況でした。


       気仙沼は漁師町で、毎日新鮮なお魚を食べるのが当たり前の生活だった様で 高齢者の方々は「さしみは無理だろうけど、せめて焼き魚でも食べたいな〜」と皆さん口々に仰っていました。 献立の件は栄養士会から保健所を通じて自衛隊へ要望を伝えるとの事でした。 疾患があり服用している方へはお困りはないか?を中心にお話させて頂き、他の方へはビタミン剤や床が固いことによる腰肩の痛みを訴える方も少なくないことからシップ剤、塗布剤等を配りました。
       その日も17時のミーティング後、明日の活動内容の決定を受け 宿泊所へ帰り外食、就寝しました。


       2日目は巡回診療支援隊からの要請で山間部に9名が入所している福祉避難所へ 医師、看護師に同行して服薬指導へ入りました こちらの入所者は、現在は保険診療をしている医療機関を受診して、お薬はそこを管理している関西のボランティアチームが箱を作って服用時点ごとにホッチキスで止めたりしていたので、服用状況は問題ない様子でした。
       支援隊の医師の診察後、新たに薬が必要であれば 無料で処方したり、又現在服用の薬に関しても見直しの必要が疑われる場合は提案をして、現在の主治医へ引継ぎをするという状況でした。
       9名の方は皆様お話が沢山有り、私達4名で分かれてお伺いしないと時間が足りないくらいでした。初めにお話を伺った70代の女性は昨日からめまいを訴えており、こちらからめまいを抑える薬が出ましたが、2〜3日前から服用中の帯状疱疹後疼痛治療のリリカによる副作用が疑われたので リリカの中止をお願いしました。又2ヶ所からの処方薬を服用していたのですが、どちらからも同じ成分の胃薬と痛み止めが重複で処方されていたので それも1ヶ所分は削除してもらい、次回それぞれの処方医に報告していただくようにお願いしました。
       又糖尿病薬を服用中の80代の男性は、受診時の検査値をお伺いすると血糖コントロールが不良でした。食事の状態を尋ねたら、ご飯を小さいお茶碗に1杯にするようにしているが、結局おかわりをしてしまうとのことでした。 ボランティアグループの方に、ご飯1杯にしていただくようにお願いして、それが出来なければインスリン注射の導入も考えられる値なので 主治医と次回2週間後の受診時に相談するか若しくはこちらからインスリンを処方するか 検討の必要があることをお話しました。

       他の方も慢性的に腹痛を訴えている女性には痛み止めの処方や、明るく振舞っている
      けれどもよくお話を伺うと家も流された上、経済的に今後の生活の見通しが立たない、眠れないと仰る男性には軽い抗うつ薬の処方もありました。
       この方は津波が来て、何かに必死につかまっていて水につかりながら 多分2日目くらいに自衛隊によってヘリで助けられたんだよとお話してくださいました。
      「2日間寒くなかったですか? おなかすかなかった?」とお尋ねすると「そんなこと思いつきもしなかったよ。とにかく必死につかまって、ただただ つかまっていただけだよ。」
      とおっしゃいました。でもそうおっしゃった後で「家も財産も何もなくなったから、これからの事を考えたら あの時流されててもよかったかなあと思うよ」とも仰いました。
      このお言葉にはさすがにお返しする言葉が見つからず、ただ手を握って差し上げるだけでした。


       お話を伺っている最中には震度3の余震もあり、下から突き上げるような急な揺れにビックリもしました。被災者の方は慣れている様子ではありましたが、やはり夜間はその度に目が覚めるとの事でした。
       この日は4時からの巡回支援隊のミーティングへ参加、同行させてもらっての感想と次回の方への引継ぎ事項など報告させていただきました。更に5時からの全体ミーティングに出て実質稼動2日間が終わりました。


       最終日は朝のミーティングに出席後気仙沼を後にして、又2時間半運転 12時頃に仙台で後班に引継ぎ 南三陸、石巻へ派遣された他のメンバーに3日ぶりに再開しました。
      南三陸はライフラインもまだ復旧されてなくトイレも大変だった話や、石巻も避難所での寝泊りだったので夜間も急患の調剤に起こされた話など他の皆はとても大変な様子でした。
       来たときの様にレンタカー3台に別れて東京へ着いたのは午後7時頃でした。そのまま夕食でお互いの労をねぎらい、翌日は各自地元へ帰っていきました。


       現地での3泊4日は現地でなければわからない臭いや被災者の津波の体験談等、胸の詰まるような時間でした。少しの達成感と たった数日のボランティアで役に立ったのだろうかという無力感が入り混じった何とも言えない虚無感というのが正直な感想で、自分の生活やボランティアのあり方等改めて色々な事を考えさせられました。
       これを機会に又何処かで誰かの役に立ちたいと思います。


      以上で報告を終わります。

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        忘年会

        「かたつむり」の忘年会が平成22年12月21日に開催されました。
        聴覚障害者の方々、会員合せて31名の出席者で時間を忘れて、
        飲んで、食べて懇談(手話談)しました。
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          プロフィール

          医療従事者のための手話同好会「かたつむり」
          私たちは、聴覚障害者の先生方の協力をいただき、手話や聴覚障害者の生活などを二週間に1回、勉強しています。 たくさんの方々と、交流を持ちながら聴覚障害ということの理解を深めていきたいと考えております。
          医療従事者の方々の参加をお待ちしております。 かたつむりプロフィール

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